なっちゃんとはむ家① ~はむ家との出会い~


みなさん、こんにちは。
はむ家ブログを書くのは初めてですが、ちょいちょい画像を濫用されてきた「なっちゃん」です。2022年8月~2023年6月まで、はむ家のドミトリーに住み着きながら語学学校に通っていました。根っからの台南&はむ家ファンです。
はむさんから再三「体験談を書け!」と脅されてきたのですが、5月から社会人生活&初の一人暮らしがスタートした結果、ホントに日々仕事と自分の世話に追われて時間がなく。気が付けば7月が始まってしまいました。(※8割真実、2割言い訳です)
そろそろはむさんに出禁をくらいそうなので、仕事が一旦落ち着いた(ともいえないが…)今こそ、筆をとりたいと思います。とはいえこのブログも代筆なんです。



はむさん、そのうちWordプレス覚えます。今は許してねー!
何を書けばいいのかよくわかってないのですが、許されるものならシリーズ化でもしてもらおうかな!今回は、はむ家に出会ったきっかけを書いていこうと思います。


このへんはぶっちゃけ、私が以前書いていたnoteを見てほしいところでもありますが。改めて説明して進ぜよう!(…何様。)
私が台南に来た理由
私はもともと、大学で中国語を専攻していました。自分で言うのもなんですが、そこそこ勉強を頑張っていたこともあったし、新型コロナで大学生活を2年つぶされた私からすると、そのまま4年で卒業するのはかなり癪。…というわけで、大学の交換留学制度を使って、北京の大学に交換留学することが決まっていました。
しかし、中国はみなさんご存知の通り、2022年当時はまだまだ入国制限が厳しく、留学生を受け入れていませんでした。このままだと、ストレートで卒業させられてしまう…!そう焦った私は、(半分嘘です。現地で中国語を学びたいと言う強い思いがあったので、せっかく勝ち取った留学が頓挫してしまい、毎日泣くくらい悔しかったです)一から情報収集をはじめ、留学生を受け入れていた台湾に私費で留学することにしました。
台湾に一回も行ったことがなかった私ですが、なぜか台北ではなく台南に行き先を決めました。このへんはもう今となっては縁としか言いようがないですが、当時は台南のほうが物価が安いと聞いていたこととか、日本人が少ないところで勉強したかったとか、そんな理由があったような気もします。
私がはむ家に来た理由
しかし、問題になったのがお部屋探し。成功大学の寮は部屋が限られていて、2つほど申し込むも、あえなく落選。かといって現地に知り合いもおらず、頼れるのは自分だけ。すっかり困り果てた私は、ある民宿に目をつけたのです…。そう、それが「はむ家」。たしか、「日本人 民宿」とかで検索したら出てきたのだったと思います。
おうちが見つかるまでの間、仮で泊まらせてもらおう。そう考えた私は、はむさんに以下のようなメールを送ったのです。。


…今見返すと、やたらかしこまっててウケる。
さあ、ここで慌てたのが私の両親です。Googleマップではむ家を検索した親は、その写真を見て、
「こんな『海の家』みたいなところで勉強できんの…?(できないでしょ)」
としかめっ面。確かに、そこにはどうやらお客さん同士で飲んだくれているような写真と、TUBE風味の怖そうなおっちゃんが…。だがしかし、背に腹は代えられないし、何事も百聞は一見に如かず。両親と揉めた(相談した)結果、ひとまず1か月はむ家に泊まり、そこで様子を見つつ物件探しをするということで合意が成立しました。
このメールを送ったのが2022年7月。お、今から約3年前ですね。月日が経つのははやい。さて、隔離やなんやら、面倒くさい手続きを踏んで、2022年9月、やっとはむ家の扉をたたいた私。そこに待っていたのは…
はむさん登場!笑


Googleマップの写真より痩せているけど、やはりTUBE風味のおじちゃん…!
初見の感想は、もう忘れちゃったけど、そんなところだったような。
私はこれまでの人生で、いい意味でぶっ飛んだおじちゃんと関わったことがありませんでしたし、はむさんはそれこそ、性格をとっても、人生をとっても、酒の飲みっぷりをとっても、私の両親とは何もかも真逆。
それでも、私はこのおじちゃんになんか惹かれたのであった…。直感的にね。
そして、本来1か月滞在してほかのお部屋を探すはずだったのが、そのまま留学期間の10か月めいっぱい、居座ることになるのでした。
その時のプチエピソードや何やらは、また別の機会に書きたいな。素敵な思い出、ヘンな思い出、たくさんあるので、また見てくれると嬉しいです…!



以上、なっちゃん初回ブログでした♪