台南のゲストハウス老闆・哈木桑(はむさん)の自己紹介(いまさら編)

はむ

大家好!我是哈木家的老闆,哈木桑(はむさん)!!

「哈木家(はむ家)」とは台湾の台南にあるゲストハウスで、「老闆(ラオバン)」とはオーナー・社長・店主などの意味です。

と、勢いよく中国語で第一声を発しましたが、中国語の出来は「ぼちぼちでんな〜」ぐらいの台湾帰化人です。(でも毎日一生懸命に中国語喋ってる!)

台湾生活、気付けば13年。台湾の台南という街でゲストハウスをやっています。中国語なんて1ミリも話せなかったのに、今ではおばちゃんとケンカできるぐらい喋れます。笑(発音は今でも赤点😅)

この度、いまさら感満載ではありますが、改めまして自己紹介をさせていただこうと思います!

まずは、にったん風自己紹介で始めていきたいと思います。

目次

哈木桑(はむさん)とは?

富山県富山市出身の牡羊座、血液型はAとBから生まれたO型、MBTIはENFP-A🐯

好きなことは稼ぐこと!とにかくお金大好きです♡(みなさまのイメージのお酒は現在❌)あと、筋トレ🏋️

性格はおおらか(大雑把)。

座右の銘は「気合と根性とはったり」(サブで「自分と自分の未来を信じる」)。

興味があることは何でもやって、とっ散らかるタイプです!

なので人生失敗ばかり、後悔もたくさんですが、まだ生きていることに感謝しています。👍

勉強は苦手(できない性分)なので、語学学校には2ヶ月ぐらいだけ行きました。が、ろくに勉強になりませんでした。笑

成功大学の語学学校は厳しく宿題が多いみたいです(にったん調べ)

成功大学の語学学校に通っているゲストさんやスタッフには、心から尊敬してしまっております。

学歴は中卒です。非行少年で、学校には行ったり行かなかったりしてました。にったんとは違い正真正銘の「問題児」でした。笑(にったん→大学では中国語を学んでいましたが、教授に「問題児」と言われるくらい落ちこぼれでした笑)

そんな俺ですが、、、

なんだかんだで57年、生きてこれました。その後半の13年は、こうやって台湾で生きています。中国語は実践で喋りまくって、少しずつ進歩していけてます。(なんとかなるものだ…🤭)

中学校卒業後、2度の施設生活を経験して正直グレてたけど、21歳のとき「このままじゃアカン」と思って働き始め、23歳で独立して会社を立ち上げた。

でも、20年やってきた会社も、山あり谷ありで最後は倒産…そこからどうなったかというと、なぜか流れて流れて、台湾にたどり着いてました。

そして台湾の台南にやってきた。

台南では、「哈木家(はむ家)」を運営しながら、日本の中古建機を買い付ける仕事もやっています。

なぜ”台南”を選んだのか?

何の当ても無く来てしまった台湾。

本当はベトナムやタイに行きたかったんだけど、航空券の一番安いところに行こうと決めていたので、台湾になってしまった。(実はその10年前ぐらいに来てるんだけど、その時は全く面白いとは思わなかった…)

当ても希望も無くブラブラしてたので、最後に外国に行ってみるかーって感じで、そのあとはどうにでもなれって感じで…。

最初は台北に来た。

友達も結構できた。

台湾って意外とおもしろい。

いや、とてもおもしろい。😄

そこで何とか台湾に住み続けられないか考えた

友達にも相談した。

ある時、とある誰かが「ゲストハウスが似合ってるんじゃない?」と言ってきた。(運命の一言)

当時、台北には日本人がやってるゲストハウスが多々あった。(今思えば全部非合法)

ということで、物件を探し始めた。(単純)

台北の物件には振られまくって、台湾全土に目を向けた。(思い切った)

そこで台湾一周した。

そして出会ったのが台南。

台南の駅に降り立った瞬間に「あーここだ!」と思った。(一目惚れ🤩)

そして台南には、今の「哈木家(はむ家)」の建物が、まるで俺を待っていたかのようにそこにありました。(そうとしか思えない☺️)

すぐに契約して、すぐに台北から越してきた。

そして、コンプライアンス無視でゲストハウスを始めた。笑(当時は当然非合法)

という感じで、台南に吸い込まれるかのように住んでしまったわけです。(事実)

何だかノリが軽くて乱暴な感じがするけど、当時の俺は背水の陣だったし、とにかく希望があれば藁をもつかんでいった!

日本時代も台湾時代も、本当はもっともっと語りきれないくらいいろんなことがあって、今日に至るなんだけど。
……でも、それはまた別の機会に。

なぜ”哈木桑(はむさん)”なのか?

名前に公園の「公」が付くので、よく「はむ」と呼ばれた。(あだ名です)

ゲストハウスにもそれを取って「はむ家」と名付けて、当時は変えようかなとか何とか考えていたんだけど、台湾人の友達が「哈木家」という漢字を当ててくれて、その名で登記して、今ではブランドとなってしまった。🤭

で、今は日本人からも台湾人からも「哈木桑(はむさん)」と呼ばれている。

よく「火腿(食べるハム)」か?と台湾人から言われていたが、現在は「哈木家」というブランドになってしまったので、そういうふうには言われなくなった。(勝利宣言)

というわけで、以後お見知りおきを!

哈木家(はむ家)の2代目ロゴデザイン

家族を紹介したい

最愛の妻「ミキ」。

ミキさん

現在、ダイエット中です!

「ミキさん」とは、ゲストハウスやってしまってから知り合ったんだけど、彼女と出会ってから「はむ家」は法律に則ったちゃんとした宿になった。🤣 

いろんな意味で最愛の人です

最愛の娘「ゆい」。

ゆいちゃん

你好👋大学4年生なう!

「ゆいちゃん」が10歳の時に出会ったんだけど、あれから12年、もしかしたら「ゆいちゃん」と出会うために台湾に来たのではないかと思うぐらいにいい親子です。

本当に最愛の娘です。

あと、2匹の愛猫と1匹の愛犬と暮らしているのですが、そのペット家族を代表して、

愛犬「くま」。

くま

最近、体調悪くて病院通い…。

動物の家という家なき子が収容されているところで引き取ってきたんだけど、子犬が4匹いて、この子がいいねと俺が指さしたのとは全く違う子を「ミキさん」が指さしていて、鶴の一声で「くま」に決まったという…そして10年。

今は体調が悪く元気がなくて心を痛めてるんだけど、台南のいろんな時期を一緒に過ごしてきた、

大事な家族です。

その他、スタッフやはむ家を応援してくれてる人など、関わりの強い家族のような人たちもいるんだけど、それもまた別の機会に紹介させてください。

まとめます!

鶏の丸焼き作ってドヤ顔

という感じで長々と自己紹介してきましたが、抜けはなかったでしょうか?(多分ある)

抜けがあったとしても、それはそれである意味自己紹介です。

はははーーー!!

将来の夢は、台湾のもっと田舎に行って、でっかい地面に我が家を建てて、そこで悠々自適に暮らすこと。そして、今やってる事業を娘に引き継いでもらって、もっと素晴らしくしてもらうこと。

もうアラ還なのに、まだまだ夢見ています!

夢が叶いますように!(大きな声で)

という「哈木桑(はむさん)」ですが、まだまだ台南でゴソゴソやっていますので

今後ともよろしくお願いいたします

俺の人生はまだまだつづく…。

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